普段の生活に和みを与えるジョーク

物事にはさまざまな「見方」があります。同じ物事でも角度を変えて見れば、まったく違ったように見えるのです。同じことをネガティブに捉えるかポジティブに捉えるかは、その人次第でもあるのです。

例えば街でまったく非常識な人を見たとします。人によってはどうしようもなく「不愉快」になってしまうものですが、人によってはそのことを面白おかしく捉えることができるものです。「こんな人見たことがない」ということは、実はかっこうのハナシの「ネタ」になるのです。「誰も見たことがないこと」や、「誰も聞いたことがないようなハナシ」は、実は誰でも興味を惹きつけられるようなネタなのです。前代未聞であるからこそ、ハナシを聞く価値があるのです。誰も知らないものを「見た」、「聞いた」
ということで、自然と「誰かに話そう」という気になっているものなのです。

それらの「日常に転がるちょっとした異常」を、敏感に感じることができる人と、そうではない人がいます。「これはおかしいぞ」という視点や、「これはウケるぞ」という感覚はその人の「センス」そのものでもあります。同じ物を見たとしても誰にも話さずに忘れてしまうような人もいれば、興味深く感じ、深く観察して詳しく記憶しようという人もいます。それが「人の感性の違い」です。時と状況にもよります。忙しい中であればそんなものは見逃して当たり前でしょうし、何も気にしないでしょう。逆に「何か面白いことはないか」と暇を持て余している状態であれば、そのような物事には強く興味を惹かれるでしょう。

「話題」というものはそのようにして得ます。人にとってはなんでもないことも、またある人にとってはハナシのネタになります。人によっては不快なことも、人によってはとてもおもしろいのです。私たちはそのようなハナシを持ち寄り、互いに披露しあい、ハナシに華を咲かせます。「ある日こんな人を見た」、「ある日こんな事があった」ということを話すのです。普段の生活で心のオアシスとなるジョークは、私たちにとっては身近なものであったりします。プロの噺家ではないので流暢には話せないかもしれませんが、身近な仲間に対して伝わればいいわけで、テレビやラジオなどで披露するわけではないのです。

私たちはそのようにして日々を過ごしています。日常生活で目にした面白いものを互いに持ち寄り、共有して面白おかしく捉えるものです。それぞれの視点が違うので、ハナシのタネは尽きることはありません。多かれ少なかれ、私たちは面白いもの、楽しいこと、誰も聞いたことがないものを探しています。本能的にそのような刺激を求めているのかもしれません。それらのハナシを共有することで、親睦を深めているのです。

物事を面白おかしく捉えるセンス、そしてそれを面白おかしく人に伝えることができる話術、誰もがハナシを聞きたくなるようなキャラクター性は、磨こうと思って磨けるわけではないのです。それは個人の性格にも関係していますし、周囲との関係にもよるでしょう。プロではないので意識して伸ばすスキルでもないかもしれません。ただ、日々アンテナを張り巡らせていれば、人によってはなんでもないことも、自分にとっては最高に面白くなるのは間違いないのです。