人を楽しませるためには考えが必要

何を話せば人が喜んでくれるのかということには「答え」はありません。強いて言えば、その場その場で最善な「答え」がいくつかあるのです。人を楽しませるために必要なことはそれぞれのケースでその「答え」を即座に嗅ぎ分けることです。

人は誰もが感情を持っているものです。感情は起伏するものです。その人のバイオリズムによって、反応も違います。人の感情は簡単には割り切れるものではないのです。落ち込んだ人には何をいっても通じなかったり、怒っている人に対してもまたどんなジョークも通用しなかったりするのです。人にジョークを聞かせて楽しませようとするのであれば、そのようなことに注意を払う必要があります。いわゆる「相手の顔を伺う」ということです。

もちろん、相手の顔を伺って、その心中を察するだけでは答えは見つかりません。その時の会話の流れなども加味して、どのような発言が相手に対して、そこにいる人に対して効果的なのかということを考えなければいけません。それもクリティカルなものです。その場その場の判断が求められます。「笑いをとる」ということは「直感」でもあるのですが、直感に加えてそのような少しの「考え」も必要です。

「今これを言ってもいいのか」という一瞬の逡巡が大切です。人の思考は流れるものです。流れる思考の中で、その場に適した最善の答えがひらめくのです。それはある意味訓練が必要なことでもあります。長く考える猶予はありません。考えている間にも会話は流れているのです。状況は刻一刻と変わっているものなのです。ですから、その場のクリティカルな判断と、タイミングよくジョークを投じることができる「間の良さ」が求められます。

私たちは笑いのプロではないのですが、コミュニケーションのプロではあります。それは人として生きる限りプロフェショナルでなければいけないのです。「今これを言ってもいいのか」という判断は、ある意味いつも行なっているはずです。誰かと接している以上、そのような考えは必ずもっているはずだからです。私たちは常に頭を働かせ、誰かとコミュニケーションをとっているものです。

常に明るい思考の人、常に相手のことを考えて相手に対して適切な発言ができる人というのはこのような「間のとり方」に長けています。その場を和やかにすることができる人というのは、人格的にも優れている場合が多いのです。私たちに求められるのはそのような「クリティカルさ」です。これは社会人であれば、ジョークを用いる場だけではなくても求められるものです。いわゆる「TPO」というものです。TPOをわきまえることは、さまざまな場合において必要です。私たちはそれぞれがそれぞれの価値観で生きているものですが、その中にいくつかの共通認識があります。それは倫理であったりマナーであったりするのですが、そこから逸脱しないことが大切です。

誰かを楽しませようとか、笑顔になってもらおうということはある種の「献身」です。それは自分が笑いものになったとしても、そのように振舞おうということでもあります。それによって自分の希望が満たされるということは、実はとても良いことでもあるのです。誰かのために「考える」ということは、人として素晴らしいことなのです。