言葉があるからジョークがある

私たちは「言葉」を使いこなしています。「言葉」は、私たちが自分の気持ち、さらにはその時の状況や考えを伝えるためには欠かせないものです。私たちの文明はこの「言葉」によって発達してきたといっても過言ではないのです。

その言葉は、それぞれがそれぞれの意味を持ち、組み合わせることで文章になります。それらの文章をお互いに使いこなし、理解しあうことでさまざまなコミュニケーションが実現されています。ちょっとした情報を伝えるためにも「言葉」は用いられています。見たものを的確に表現するためにも「言葉」は用いられます。それを読んだ受け手は、それを記した人が見たものをその「言葉で記された情報」から読み取り、自分の頭の中で再構成し、その状況を自分の頭の中で再構成するのです。

それらの「言葉」の数々で作り上げられたのが現在の社会です。私たちはさまざまな回り道をしながら、時には互いに傷つけあいながら、現在の社会を構築してきました。全世界から紛争がなくなったわけではないですし、日本に限ってもまださまざまな問題を抱えていることは事実なのですが、少なくとも私たちの身近なところには「戦争」の影はありません。日々の仕事をどのようにこなしていくか、自分の家族のためになにをしようか、そして明日はどのようなことをしようか、そのように平和的なことを考えられるまでに私たちは成長しているのです。

私たちが日々用いている「言葉」は、それだけで世界を作ることもできるものです。世界は言葉で形成されています。「ここにビルを建てよう」と考えたとして、それを言葉に表して誰かに伝えてはじめてそれが「プロジェクト」になるのです。自分だけではビルを組み上げることはできないのですから、それは複数の人、さまざまな専門知識で取り扱うことになります。共通認識として「ビルを建てる」という「言葉」がそこになければ、私たちはそれを実現することができないのです。

「平和的に解決しよう」という理念としての言葉があるから、そのまわりにさまざまな言葉が発生するのです。世界の紛争は、この言葉が「足りなかった」結果であるともいえます。私たちは相互に理解しあう能力を持っています。そして相互に考えを述べる「言葉」を持っています。それらを駆使すれば、どのような問題も平和的に解決できるはずなのです。

普段から用いている言葉はそれほどまでに重要なものです。根本的なものであり、最終的なものでもあるのです。「言葉」を使うことで私たちはどのようなことも解決するまでトコトン話しあうことができます。私たちの社会を支えているのは、作り上げているのは、紛れもなく「言葉」です。

ジョークは、そんな「言葉」を上手に使った結果です。「誰かが笑う」をということは、それを引き出すことは、なかなか難しいものです。人はそれぞれ違う正確を持っているものですし、価値観も違います。それらの人を笑わせるためには、その人にあったジョークが必要なのです。それらは決して簡単には生み出すことができない「言葉」です。ジョークが「言葉の応用」であるのは、その言葉に額面で測れること以上の意味を持たせる必要があるからです。