想像させるジョーク

より高度なジョークを身につけるとなると、それは「話し方」であったり身振り手振りで相手を惹きつけることであったり、ただ「話す」ということだけではないスキルが要求されるようになります。

私たちがバラエティ、エンターテイメントとして捉えているいわゆる「お笑い芸人」の「トーク」は、そのもっとも顕著な例です。彼らはそれが「仕事」であり、それがプライドです。高度なジョークまで昇華させるとそれ自体が聞いていてどうしようもなく「面白い」というものになり、会話の合間に織り交ぜる「ダジャレ」ではなく、そのハナシ自体が、ハナシの筋全てが、人を楽しませるものになっているということになります。

私たちはある「話」を聞くとその様子を想像するものです。「空が青かった」と聞けば「青空」を想像します。「とても暑い日だった」と聞けば、それを想像します。言葉は自分で文字を読んでも、誰かに語って聞かせてもらっても、私たちの頭の中にイメージを浮かばせてくれるものなのです。次々と聞く言葉によってつぎつぎとイメージをわかせ、その人が語ったり記したりした体験を、自分の頭の中で追体験するようなものなのです。

相手に対してそのような「追体験」をしてもらうためには、まず「話」を聞いてもらう必要があります。そしてそれを相手が即座に理解し、飲み込めるように配慮する必要があります。この部分は、「話すのが上手」であるとか「下手」であるというような「トーク力」にかかっているものなのです。自分が発する言葉、ストーリーで相手を愉快にさせようとするのならば、まずはこの「トーク力」は必要不可欠なものです。これがなければ誰もあなたのハナシを理解できませんし、「何か面白いことを言っているのだろうけど、よくわからない」というような結末になってしまうものです。

相手に想像させて笑わずにはいられなくするようなハナシは、一朝一夕ではできるものではありません。そして、ハナシにはキッカケと経緯、そして「オチ」といわれる「結末」があるものです。それらがあって初めて人は「面白い」と感じることができるのであって、「昨日面白い人を見た。こんな人だった」というだけではまだまだツメが甘いのです。「そんな面白い人が実はこれこれこんな人で・・・」という具合に「実は」の部分で「オチ」がつけられます。

ただ「そんなに面白い体験はない」と言うのであっても、それは相手や周囲を笑わせることが目的なのであれば、別に「作ってしまえばいい」だけのことです。あるいは自分が見たもの、感じたことを膨らませればいいのです。さらにいえば、実は世の中には「面白いこと」というものは沢山広がっているものです。なんでもないようなことを「面白く感じる」ということが大切なのであって、実はそれは「見る人」によって違うのです。物事をナナメに見ることで、普通の人にとっては当たり前のことがその人にとっては「ハナシのネタ」になるのです。もちろん「人」のコンプレックスなどにつけいるとそれは誰かを傷つけてしまうかもしれませんから、十分注意したいのですが、それでなくても「見方」によってなんでも面白く出来てしまう、なんでも面白く話せてしまう人もいるものなのです。