時には知性を感じさせることができるジョーク

会話には「筋」というものがあります。ハナシの筋というものです。人はさまざまなことを考えます。それはある特定のことをやりとりしていたとしても、互いの言葉によって新たなインスピレーションを受け、別のハナシを始めてしまうなどということからも顕著に見て取れます。

ハナシには何を取り扱っているのかという「主題」があります。途中から会話に加わったとしても、言葉の端々から「何のハナシをしているのか」ということを類推することができるのが私たちです。それはある種「知性」であり、言葉を理解して本筋を見極めるという「理解力」にかかっています。ジョークを披露する場合、さまざまな流れがあると思います。誰かに「何か面白いことを言ってほしい」とせがまれて披露する場合、または会話の流れにそってベストタイミングでウィットに富んだことを披露する場合などさまざまです。

ただ、日常の会話の中では「何か面白いことを言ってほしい」とせがまれることなどはほとんどありません。こちらも相手も一般人であり、芸人ではないのです。また、プロの噺家や芸人にしても普段の生活で「何か面白いことを言ってほしい」などとは頼まれることは稀でしょう。やはりその時、その場のハナシの本筋に沿って、相手に対して「そんな発想があったのか」と唸らせるような発言が、一番際立つのです。それはある種「インテリジェンス」さが求められるクリティカルなものです。

会話の筋を理解し、ただその本筋では誰もが発想しないようなこと。それがひとに対して好感を得られるジョークです。それらの発言は狙ってするものではないのです。あらかじめ用意しておくことができないからです。その場でどのような会話が繰り広げられるかはその時になってみないとわからないものです。私たちはその場に臨まない限り、「ハナシの主題」はわからないのです。

「いつも面白い人」は得てして理知的です。いつも会話のテーマを理解していて、時には会話の主導権を握っているものです。そして、不思議とそういう人こそ相手のハナシをよく聞けるものです。本当の話し上手は聞き上手でもあるのです。相手の発言を深く捉え、また的確にそれに対して返答できる「知性」が、その場でクリティカルなジョークを発することができる原動力でもあるのです。

私たちは普段の生活においてさまざまな知恵を駆使しています。その中でも相手とのコミュニケーションで使用する知恵は毎日のように稼働しています。自分が得た情報を的確に理解し、自分なりに変換してアウトプットする、当たり前のようでいて難しいのです。ハナシのなかで自分がわからないことがあったとしたら、即座にそれを解消しようとする、時には相手に質問して、会話をさらに広げることもできるのです。

それは訓練して身につけるものでもありますが、矢継ぎ早に飛び交う会話を次々と理解し、的確な意見で相手に返すこということはなかなか難しいものです。それらに長けた人は、実はジョークが上手です。ジョークとは人の知性が生み出すものであり、それを受け取る相手の知性によって「面白い」と感じることができるものです。小学生と大人では、何が面白いのかということに差があるのはそのためです。