人はコミュニケーションをとりながら日々を過ごしています。私たちのコミュニケーションの中には、目には見えなくても私たちがそれとわかる「空気」というものがあります。

その「空気」が張り詰めているとお互いに緊張してしまったり、なかなか打ち解けあえなかったりするものです。空気が悪いとなかなか言いたいことが言えなかったり、思いもよらない方向にハナシが曲がってしまったりするものです。そのような「空気」を和ませるために「ジョーク」があります。ジョークによってその場を和ませたり、和らげたりすることで人と人のコミュニケーションを円滑にするのです。私たちは日々自然とジョークを口にすることで、その場の空気を調整しているものなのです。

私たちは感情を持っていて、それを表情や態度に表すことができます。そして、それが「人に伝わる」、または「人が感じ取る」ことでその場の「空気」が形成されるのです。私たちが日々感じている「空気」は私たち自身が作り上げているものです。目に見えるわけではなく、お互いに自然と「そのような空気なのだ」と感じ取ることでその場の空気が形成されるということです。それは誰かが言葉で定義するものではなく、自然とそうなるのです。自然と相互理解が発生して、その場にいる人それぞれがそのようにわきまえるということになります。

その「空気」を察することが出来ず、そこからはみ出した言動や行動をとる人のことを「空気が読めない人」と呼びます。少し以前であれば、それは「KY」として略して表現されたものです。空気が読めないとは、誰でもわかるはずのその場の「テンション」を感じ取れなかったということです。誰かが咎めるわけではなく、ただ、誰の目にも明らかに「場を乱す行為」、「空気を乱す行為」に及んでしまう人のことを指します。

私たちは日頃からこの「空気」というものを気にしながら生きているようなものです。生きていくこと自体がコミュニケーションであることに等しい私たちはさまざまな場でこの「空気」に支配されます。むしろ、この「空気」をつくりあげることができる人がその時のコミュニケーションを支配するといってもいいのです。

たった一言で場を支配する威力を持つのが「ジョーク」です。ジョークが巧みな人は、その場の空気を意図も容易く変えることができる人でもあります。そのジョークによって柔らかくなったその場では、よりクリエイティブで建設的な意見が交わされることになるのです。私たちは無意識のうちに「心が和やかなこと」を求めています。発言しやすい空気、物事を議論しやすい空気というのは、得てしてみんな上機嫌であるのです。生活の中に深く根ざしている「空気」を左右する「ジョーク」は、社会的立場がある人ほど求められるスキルです。「責任」や「抑圧」、「強制」だけではなかなか人は動かないものです。私たちはそれぞれ「笑顔」を持っています。その「笑顔」こそが、より建設的でポジティブな議論、そして人のポテンシャルを発揮する原動力になるのです。私たちの空気を左右する「ジョーク」は、実はとても大切なものであり、そのジョークで救われている局面も多々あるのです。