ジョークで自分のキャラクターを作る

ジョークをよく口にする人は、やがて「この人は面白いハナシをする人だ」と評されることになります。それは「称賛」であったり「くだらないことばかり言う」という辛辣なものであったりするでしょう。どちらにしても、接する人に対して「自分を位置づける」ものであることは間違いありません。

人は多かれ少なかれ「コミュニティ」に属しています。それは職場であったり、趣味の交流であったり、必ず誰かと接して生きています。もしかすると、時によっては「家族」だけであったり、学校だけであったりするかもしれませんが、それらのコミュニティの中で、それぞれが「この人はこんな人だ」という認識を持つことになります。

私たちは見ず知らずの相手に対して警戒心を持つ傾向があります。「人は何をするかわからないぞ」ということは自分を守るためには当たり前の意識であって、簡単には自分のことを相手には語らないものなのです。関わりを持つようになり、相手のことがある程度わかってくると、自然と自分のことも相手に認識してもらっているものです。私たちはそのようにしながら対人間として関わりを深めていくのです。

その「認識」は、「この人はこのような人だ」というものがほとんどです。「この人はいつも楽しいハナシをしている」という認識であるとか、「この人とはなかなかハナシが弾まない」というようなものであるかもしれません。たしかに、実生活、実際の人との関わりで「話しやすい人」と「話しづらい人」というのはあるもので、それが「相性」であったりするとますます人間関係は複雑になります。ですが、同じ学校、同じ職場であれば顔を合わさないわけにはいかず、その中でうまく立ち回りながら、自分を演じながら、コミュニティの中で暮らしていくしかないのです。

人によってはそれが得意であったり、不得意であったりします。人と接するのが辛らいと感じたり、自分は自分で好きにやりたいのになかなかそれが言い出せなくて人に合わせるしかなかったり、さまざまな悩みを持つものです。その中で、「ジョークを使いこなせる人」というのは、そのハナシ自体が、人が楽しめるものであれば、会話に華を添えることができるものなのです。そのような話題を提供できる人は人から「面白い人」と認識されることになります。また、反面「口が上手いから気をつけよう」と勘ぐられたり、「口だけ」と罵られたりするかもしれません。

そのような「印象」は、一度ついてしまうとなかなか覆るものではなく、そのコミュニティではそのようなキャラクターとして存在することになります。私たちはそれぞれが相手に捉えられている「キャラクター」があるのです。人によってはバラバラになるかもしれないその「印象」は、自分で創りあげるしかないものでもあります。それが怖くてずっと奥手でいると、「引っ込み思案な人」というキャラクターになります。どのように振舞っても、人と接する限りは「こういう人」というレッテルを貼られるものです。そこにはもしかすると悪意がこめられるかもしれません。それは私たちがそれぞれ考えることができる頭を持っているからであり、人と人との関わりはそのようにして出来上がるものであるからです。