人に話を聞いてもらうということ

ジョークを使いこなすためには、人にハナシをきいてもらう必要があります。どれだけひねったジョークでも、誰も聞いてくれなければ意味がないからです。

人にハナシを聞いてもらうためにはさまざまな方法があります。ただ、ジョークを伝えたいがために周囲の人に「聞いてくれ」と改めて言うのもおかしなハナシです。ジョークはその場の流れに沿って自然にその場に溶け込むように馴染ませるのが基本です。自然な会話の流れで、それが言えるということが一番いいのです。会話の自然な流れに沿うことで、自然とそのあなたのハナシも相手は聞くものなのです。

自然に会話にジョークを放り込むためには、その会話の流れを把握している必要があります。ジョークを気にするあまり、その会話の流れをまったく無視してしまっては意味がないのです。唐突に無関係なところから出てきてしまったジョークは、面白いどころか不可解なのです。

誰かに自分のハナシを聞いてもらうということはとても難しいものです。普段からしゃべることに慣れていればどうということはないはずなのですが、そうではない人がジョークを口にしようとするとまずは「話す」ということから訓練しなければいけないのです。

一度のジョークで自分のキャラクターが変わるということはまずありません。自分が普段からよく話す人であれば、会話のイニシアチブを自然と握ることができるものですが、普段は聞き役であまり自分から話すことがない人がいきなり会話の中にそのジョークを放り込むことは困難です。ただ、「いつもは話さないタイプなのに」
という意外性で、そのジョークがスマッシュヒットする可能性もあります。そのジョークが人を楽しませることができるかどうかは、全ては会話の流れとタイミング、そして聞いた人がそれを理解できるかどうかということにかかっているのです。

ジョークをその場で炸裂させたいのであれば、どのようなことを言えば相手が楽しんでくれるのか、喜んでくれるのかを見極める目が必要です。見極めることができればうまくその場に、その会話の流れにフィットしたジョークで相手を楽しませることができるでしょう。そうでない場合は、不可解な発言として処理されてしまいます。それは相手にとっても自分にとっても不幸なことで、楽しく進行していた会話がそこでパッタリ途絶えてしまうことになるかもしれません。

自分がどのようなキャラクターとして扱われているのかも重要です。普段どのように見られているのかということが、そのジョークの質を変えます。言葉というものは「誰が言ったか」ということでその重みや意味を変えてしまうものだからです。その言葉がどのような作用を起こすのかということは、その言葉を発するタイミングと、その言葉を発した人が普段どのように思われているのかということによります。同じジョークでも違う人がいえば違う結果になってしまうものなのです。それが「言葉」の怖いところです。自分では面白いと思っていても相手にとってはつまらなかったり、自分がそれほど面白くないと思っていても、相手にとっては面白かったりするものなのです。それは時には思いもよらない結果を招くこともあるものです。