ジョークにしてはいけないこともある

古来あるジョークのなかでも、「風刺」は典型的なものです。風刺とはもともと存在する物事を面白おかしく皮肉ったもので、その時々の世相を反映するものです。

落語の古典などを紐解くと、その時代の背景などが影響を残していたりして、とても興味深いものがあります。ただ、現代の世の中で何でもかんでも手当たり次第に風刺していいわけではありません。そこにはタブーがあります。それは人としての道徳や倫理に基づいたものであり、人を楽しませるどころか傷つけるものでもあります。

ジョークのなかでも禁忌とされているのは「特定の人物を貶める」ものです。だれかの名誉を著しく傷つけるようなものは、社会的に認められません。現代は「情報化」が著しく進んだ社会です。ささいなことでもすぐに拡散され、そして共有されてしまうのです。そのような世の中では少数しか知らないような限られたジョークでも、少し「尖っていれば」、つまり「誰もやっていないようなもの」であればいい意味でも悪い意味でもすぐに広がってしまいます。そのジョークを披露する様子が動画などに収められていたとしたら、それは無限にさまざまな人に見られることになるかもしれません。

たとえそのジョークで誰かが傷ついてしまうかもしれなくても、情報の拡散と共有は止まりません。話題になり、問題視されるようになってはじめて、その動画の「持ち主」は「どうするか」を考えます。ただ、「話題」であるのではあればあえてその動画を削除するようなことはしないものです。その動画の持ち主はその「酷いジョーク」を披露した本人ではないことが多いのですから、自分は「沢山動画が再生されてラッキー」とでも思ってしまうものなのです。

インターネット動画サイトでは、自分が投稿した動画が沢山再生されると名誉なことであり、さらには「広告収入」を得られることも多いのです。ですから、話題になって沢山再生されているような動画をわざわざ消すことは、ほとんどの人がしないでしょう。

それで傷ついてしまう特定の個人はたまったものではありません。ただ、現在の法律では「名誉」を守るための戦いが許されています。それは「名誉毀損」を訴える「裁判」です。自分の権利を侵害されたり、著しく名誉を傷つけられたりして、仕事などの社会生活に関わるような事態に陥ってしまった場合には、「訴訟」で対決することができるようになっているのです。そのように、ひとつの「ジョーク」から、裁判沙汰になるほどの事態に発展してしまうことがあります。それはジョークを披露した本人にとっても得をすることではなく、ただただ「不幸」な事件です。

ですが、「良識」があればこのような事態を未然に防ぐこともできるはずです。「このようなジョークは本人に対して良くないだろう」とあらかじめ考えることが、私たちにはできます。そのように少し配慮するだけで、結果は全然違ったものになるはずです。それがジョークを考える際の最低限のマナーであり、常識でもあります。

社会的にタブーとされていること、特定の誰かが明らかに傷つくようなこと、その場の笑いが取れるだけで、誰も得をしないようなことは、ジョークにしないということが最善です。