お笑い芸人はジョークを使わない

世の中にはさまざまな職業があります。私たちの誰もが知る「芸能人」は、ときには私たち「一般人」と区別されて扱われます。それは「有名」であるからです。「仕事」として「有名」であるということは、私たちには計り知れない感覚なのだろうと思います。

芸能人にも数多くの人がいて、さまざまなポジションで日々仕事をしています。シリアスに演劇に携わる人もいれば、バラエティー専門の人もいます。さまざまな人が日々私たちを楽しませるために試行錯誤しながら活動しているものです。その中でも「人を笑わせる」ということが大前提なのが「お笑い芸人」です。ウケる、スベるといった指標でその実力が計られ、世の中の関心や流行はとても速い流れであるために浮き沈みも激しく、簡単に興味の的になったり、忘れられたりするとても厳しい職業です。

そんなお笑い芸人が用いるのは「ジョーク」ではなかったりします。彼らが用いるのは「人を笑わせる責任」として用いる言葉の数々です。それはその場を判断して繰り広げるジョークではなくて、計算し尽くされた「作られたもの」であることが多いのです。どのような芸を展開すれば観客、そして視聴者を楽しませることができるのか、また次の仕事がもらえるのか、お笑い芸人は日々試行錯誤し、悩みながら、苦しみながら、「仕事」をしているものです。彼らの頭の中にあるのは「笑いをとる」ということと「自分のキャラクター」です。

私たちは「知らない」人や物事に対しては冷淡なのです。相手がどのようなキャラクターである、と認知できていなければ、好意的にそれらを受け取ることができないのです。ですから彼らはまず「覚えてもらう」ということに尽力します。特徴ある芸で、私たちの記憶に残るように尽力しているのです。それらの取り組みは日々私たちが考えるクリティカルなジョークとはまったく違うものです。私たちは会話の中でジョークを織り交ぜますが、芸人たちがテレビで繰り広げる会話は、それ自体が「ショー」です。私たちが見て楽しむことができなければいけないのです。

ですから、本質がまったく違います。彼らの「仕事」としてのトークと、私たちの日々の会話は責任が全然違うのです。その一言が自分の「給料」である芸人と、心の休息としての会話は違うのです。つまり、私たちがそれらの芸人から学べることは何もないのです。私たちが芸人と同じハナシをしたとしても、それはまったく違った意味を持つことになります。芸人は存在自体がビジネスであり、身振り手振りも含めて、「仕事」です。対して私たち一般人はよく見知った間柄で会話を楽しむため、自分たちが楽しめればいいのです。

その差を理解せずに芸人のマネをしてみたところで、専門用語で言うところの「スベる」という状態になるだけです。やはり私たちにはその場にあった、相手にあった、ジョークがあるのです。テレビで聞いたこと、見たことを日常生活で再現する意味はないのです。それが「わきまえる」ということでもありますし、TPOでもあります。二番煎じどころか、意味がないわけです。日常で使えるジョークは、日常でしか生まれません。それに気がつける人が、会話の中で相手を楽しませることができるのです。