職場での軽いジョーク

私たちは働きます。成人すると年金を払う必要があります。収入を得て自立し、納税する必要があります。それが、私たちが社会に参画するための義務であり、生きていくために最低限必要なことでもあります。

「働く」ということは誰もが経験することです。経験していることです。働くために成長し、子孫を残すために生きていると書ききってしまえばなんとも寂しいものですが、それらの取り組みの中で私たちはさまざまなものを作り、残します。それはやがて後進に対してなんらかの影響を与えることになり、私たちが生きてきた「証」としてそこに残るのです。働くということは「対価」を得て生活するためのものでもあるのですが、私たちが存在していた証を残すための取り組みでもあるのです。

私たちはそれぞれが責任を持っています。社会は厳しいものです。自由経済は、「競争」を生み出します。現代社会がここまで発展できたのは、そのようにしてさまざまな企業や組織、そして個人が競争した結果でもあります。よりクオリティの高い仕事を、より安く提供するということが「競争」の本質です。ビジネスはそのようにシビアで、よりレベルの高い人材が各所で求められています。ですから、多かれ少なかれ職場というものは「張り詰めた空気」であるのです。私たちはそれぞれが責任を負い、自分の最高のパフォーマンスを発揮できるように尽力しています。そのような取り組みを各々が行なっていれば、職場は自然と張り詰めるのです。

私たちのパフォーマンスは「モチベーション」に左右されます。モチベーションは私たちの「意志」から生まれます。また、バイオリズムから生まれます。毎日がんばれるのには理由があるものです。目的があるものです。家族を守るため、自分をもっと鍛えるため、さまざまな思惑をそれぞれが持っています。ですが、一日中ずっと張り詰めているのでは精神的に参ってしまうでしょう。私たちに必要なことは「息抜き」です。張り詰めたままではストレスが溜まってしまいます。上手に息抜きができない人は、結果として毎日100パーセントの力を発揮できないのです。

その息抜きのために必要なものが「ジョーク」でもあります。私たちは談笑することによって互いのストレスを軽減しているようなものです。誰かのハナシで笑顔になったり、誰かをジョークで励ましたり、そのように作用し合いながら日々を過ごしています。総体的には社会は厳しいものですが、それを生き抜くために私たちは時に協力しながら、時に競争しながら生きているといっても過言ではありません。

職場でのジョークは、心のオアシスといってもいいでしょう。私たちの心を潤す楽しい話題、打ち解けた空気というものが必要です。どのように真面目な人でも必ず息抜きが必要です。私たちは日々のストレスをそのように上手にほぐしながら、頑張っているのです。ですから、度が過ぎたジョークは職場にはそぐいません。度が過ぎていると職場の空気が乱れるからです。適度な笑いが、職場には適しているでしょう。それがTPOです。誰もが真剣な場であるからこそ、TPOがもっとも求められるのです。ジョークはあくまでも「サブ」的なものです。